子供たちの成長に感じること

「子供には○○大学行かせて、国家資格を取って、安定した給料を…」
つい先日、話をお聞きする機会がありました。
子供がいるご家庭はよくある話かなと思いますが、自分は悲しい気持ちになりました。
なぜか。
その会話の中に「子供の主張」を感じることができなかったから。
「子供は本当にこれを望んでいるのだろうか」
そう感じたのです。
「運動を教える人」としてここ最近の子供たちに思うこと。
まずは”転び方”を知らない子供が多い。前転・後転ができない。そんな子供が多い気がします。
これはただ単純に運動神経が年々落ちてきている、というわけではないように思えます。
この問題を引き起こしているのは、子育てにあると考えています。
「親の監視」が問題になっているように思います。どういうことか。
これはしてはいけません。あれはしてはいけません。
子供たちが現象を起こす前に、親からの厳重な規制が入る。それによって「経験不足」が引き起ります。小さな子供なら多少の危険も顧みず本能のままに動きます。もちろん命にかかわることはしてはいけませんが、擦り傷で済むくらいのことも親からの監視によってすることができない。
そうすると外に行って遊ばない、転び方も知らない子供たちが増えていく…のかなと。
転び方と進学、関係全然なくないか?そう思った方もいるかもしれません。
先ほど言った経験不足、これは幼少期だけでなく大人になる直前の学生にも起こると自分は思います。そもそも大人になるということは、成人するということではないと思っています。社会に出ても学びは続き、少しずつ大人の階段を上っていきます。
その中にはいくつもの「決断」と「失敗」が必ずあります。
好きな相手に告白するか迷いそして気持ちを伝える「決断」をする。
仕事で大きな「失敗」をしてそれを修正しながら成果を出す。
決断と失敗、これはどんな人間にも必ずあるモノです。
その決断と失敗をする、勇気はどこで培われるのか。それは幼少期の好奇心だと自分は思います。
やりたいことをやってみて、失敗し、自ら解決策を考えて学び、成功に近づく。
その大切な「決断」から「失敗」のルートを、妨げてしまっている人が多いのでは…
そう感じる会話だったから「悲しく」なりました。
もちろん幸せに生きてほしい。そう思うのは皆さん同じでしょう。ただすべての道筋を親が決めてしまっては子供の「主体性」は皆無となるでしょう。
「学校まで車で送っています」と言われることもありますが、衝撃でした。
なぜ経験値をあげさせないのか?別に家から学校まで送ることにいいも悪いもないですが、そこまで親がしてあげることは「経験値不足」を引き起こすこと間違いなしでしょう。
「親離れ」という言葉がありますが、「子離れ」という言葉が自分は好きです。
子供が親から離れて自立するのを待つ…ではなく、親が子供から離れて見守る。
子供の成長にはこの考え方が必要なのではないでしょうか?